私は今現在テレビを持っていません。最近処分しました。
実はここ2017年までテレビを持たない生活をしていたのですが、2017年に再びテレビを買いFireTV Stickなどを接続したりしていました。
しかし「やっぱりダメだ。手放そう。」と決意して再び手放したので、実は2回目です。
テレビを見ない・そもそも持たない方がいいと考える理由
テレビは無料を餌に大衆の注目を集め、洗脳を加速させるツール
私はテレビの中で明確に否定するコンテンツがあります。
嫌いなコンテンツ
- ワイドショー
- ニュース
- タレントが騒ぐだけのバラエティ
- 歌番組
- テレビ通販番組(昼間と深夜帯)
- CM
ワイドショーやニュースは放送局の意向で中立な意見など出る方が稀で、(利権側に)偏った報道が当然です。世論の誘導も酷い。
また、タレントが騒ぐだけのバラエティや歌番組はもうこのネット時代には不要だとさえ思います。
大体テレビをつけるとこのようなコンテンツばかり流れている訳ですが、これに慣れると考え方そのものが「テレビ寄り」にさせられる人もいるでしょう。
正確に言えば「テレビ局側にとって都合の良い情報の受け取り方をする頭になってしまう」という洗脳です。
テレビの内容は考えるヒントにはほぼ成り得ず「ご意見番タレントやテレビ向けに用意した御用学者の???な意見」を聞かされるだけで、トレンド(流行)や街の声(世論)もかなりが仕込み・ヤラセであると考えられます。
これらは実際のワイドショーなどで取り上げられているグラフですから、もう意味がわかりません。
騙す気しかないように思えますよね。
「クライシスアクター」なんて言葉も話題ですが、街中で市民から「ホントのこと」を言われた日にはインタビュー素材として使いにくいので、当然ヤラセを使いますよね。
メモ
テレビ番組も全てがダメではなく、中には教養を深めるものや、純粋に楽しめる作品(映画やドラマなど)もあります。しかし、そのコンテンツさえテレビ局が選んで与えているものであり「自分で探索・探究していく」という姿勢にはなりません。
テレビとは「無料を餌に大衆の注目を集め、洗脳を加速させるツール」であると考えるなら、餌となる楽しいコンテンツはあって当然。その合間に挟み込まれるCMやニュース番組を見せ洗脳するのが目的と言えるでしょう。
自分でキーワードを考えて打ち込む「ネット検索」と比べたら明らかですが、テレビを眺めながらチャンネルをポチポチしてることが「情報収集」でしょうか?御用学者(専門家)の忖度された意見を聞いて「考えたつもり」になるのが思考でしょうか?
とはいえ個人的には「テレビは必要不可欠な家電」「帰宅したらとりあえずテレビ」「テレビからの情報が最初」といったスタイルは今後どんどん消えていくと予想しています。
なぜなら信用が無いからです。「重要な話はほぼ検閲されてるようなテレビより、玉石混交のネットの方がまだ救いがある」と考える人は若者を中心に増えていくと思います。
となると、当然大手メディアのニュース系サイトやスマホアプリなどは「アプリの中でいかに偏向した情報を浴びせ続けるか?」を考えてるでしょうから、結局テレビ的になるでしょう。Yahoo!ニュースなんかひどいですしね。
しかし「それ変じゃない?」と思ったことをそのまま検索して深掘りする手段がネットにはあります。
それさえもコントロールされ始めていますが。
【詳細記事】Google検索が使いにくい!これからの検索エンジンはDuckDuckGoやECOSIAで決まり!
テレビと関わらなくなった時間を違うところに向けることができる
テレビとお別れ後
- 本を読む(電子書籍でも漫画でもいいと思う)
- 勉強する
- 運動する
- 趣味を作る(創作活動とか)
- ネットで映画やドラマ・アニメを見る
- ネットで面白い個人の発信を探す
別に、意識高めに「テレビを見ない時間を勉強や資格取得に充てれば、人生が変わるよ!」と叫びたいなんてことはありません。
あるいは「やりたいこともないし単純に娯楽コンテンツを消費して生きていくよ〜」でもいいと思います。
テレビ番組はせいぜい数チャンネル、そして各放送局が勝手に選んだコンテンツのみだからね。
正直テレビがすごい所なんていくら見ても通信量が減らない所くらいしかない。
そこから派生して「災害時の情報手段としてテレビはアリ」という人もいるかもしれませんが、それなら乾電池で動く携帯ラジオの方が優秀です。
そもそも停電したら大半の電化製品は使えませんし、ネットも基地局の電源が落ちたら繋がりませんからね。
テレビみなくて話題についていける?
という疑問を過去に言われたこともありますが、それ自体がもう(私も含めて)「古い人が抱きがちな思い込み」なのです。
今はみんなで1つの流行を追うなんてことはせず「自分の好きなモノが共通している同士でつながる時代」ともいえます。
私は友人と遊ぶ時もテレビに関わる話とかしませんし、そもそもテレビ離れしてる人が周囲に多いので「テレビの出る幕なし」な状況。
例えば海外の情報だと「英語読めないとわからないし!」と思う方もいるはずです。
しかし、deep Lなどの高性能な翻訳サイトを使えば精度の高い翻訳を得ることも可能。(翻訳結果が100%正しいと受け取るのも危険ですが)
私たちに必要なのは「玉石混交な情報」で、それらを自己責任で解釈して自分の思考の軸を作るからこそ多様な社会になると考えます。
という意味ではテレビの情報もその1つではありますが、あまりに「考えることを放棄させようとする作り」が気になりました。
テレビを捨てるにはどうすればいい?
メルカリやリサイクルショップに売ればいい、捨てる必要はなし
私は便宜上「捨てる」という表現を使いますが、テレビが不要になったら中古品として売りに出してました。
別にリサイクルシールを買って家電ゴミに出す必要もなく、欲しい人に売ればいいです。(テレビが欲しい人は今後少なくなるかもですけど)
数年前に39,800円で買った43型の液晶テレビは最終的に30,000円で売れ、送料などを除いて20,000円の利益(振り込み額)になりました。
高値で売れなくても、例え1000円でも値がつけばしめたモノです。
買取不可になると捨てるのに逆にお金かかりますからね。
テレビを捨てると部屋がすっきり広く見える
テレビを処分すると「なんかインテリアに違和感が・・・」と感じることも多いです。
それだけテレビが空間で幅を利かせていたってことですね。
私はタブレットを活用するようになってからはダイニングテーブルにこんなタブレットが鎮座しています。
音が欲しければYouTubeやAmazonプライムなどがありますからね。
あとそこそこ大きい画面が必要ならPCモニタを使います。
私はこれで十分ですが「もっと大画面がいい!」と思うならいっそプロジェクターでも導入してみるといいかもしれません。
追記
試しにAmazonの激安プロジェクターを買ってレビューしてみたので、こういうのでもアリかもしれません。
値段もこなれてますし、5万ほどで100インチ級の投影が可能なら映画好きにも良さげです。
テレビがないと寂しいは嘘。むしろ逆である理由
「テレビがないと寂しい」のではなく「一人でテレビばかり見てるから余計に寂しくなる」
人の声が欲しいなら、ラジオを付けていた方が寂しくなりません。
ラジオDJの一人喋りや、司会とゲストの掛け合いは聴いていても自分が一人であるという寂しさはありませんが、テレビ番組の多くは多数の演者でワイワイやるコンテンツを眺めているだけですから、むしろ寂しさを増長させるだけだと私は考えます。
学生時代に深夜ラジオを一人で聴くのは当然なことでしたし、今時で見てもYoutuberの一人ライブ配信を見て寂しさを感じることはないですよね。
飲み会やパーティーなど、大勢の場でふと孤独を感じる人も多いですが、気心知れた友達とのサシ飲みで孤独を感じる人は少ないでしょう。
私は心理学の専門家ではないですけど、人間の心理は「大勢の中でこそ自分が孤独であることを見出してしまう」のだと感じます。
なので「テレビ無いとか寂しくないの?」とたまに聞かれますが、私からすればそれは逆です。
日頃からテレビにかじり付いてるから、より一人を寂しく感じる思考に染められているのです。